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世界を駆ける夢たちへ

#41 【NY Travel】9.11 Memorial&Museumで考えたこと

いきなり、【NY Travel】と題して記事を書こうとしていますが、

実は、2021年のクリスマスから2022年の元旦までNYに旅行に行ってきました!

友達と2人旅だったので、1週間の滞在の間にいろいろなところを訪れました。

今日はそのうちの一つ、「9.11 Memorial & Museum」に行って、私なりに感じたことをまとめたいと思います。

ちょっと重い内容になりそうな予感がしているので、

苦手な方は、スルーしてもらって構いません。

 

www.911memorial.org

「9/11」から20年 あの日、何があったのか - BBCニュース

 

2001年9月11日。

私は当時2歳。

母から聞いた話によると、弟を出産後だった母は、

病院で2機目の飛行機が、ビルに突っ込んでいくテレビ中継を見たらしい。

私はもちろん記憶はないし、「アルカイダがハイジャックした飛行機が、アメリカのNYのビルに突っ込んだ」ということを、ドキュメンタリー番組か何かで見て知っていた程度だった。

 

2021年12月29日。

友人の提案で行くことになったそこは、私に強い印象と悲しみを残した。

正直言うと、展示の半分も見られていないと思う。

入場してすぐにあった、このテロの様子をを周囲で見ていた人達の記録映像。

それを見て、私は泣いてしまったから。

「映像」とは、こんなにもはっきりと人の感情を映すものなのか…

もしかすると、飛行機がビルに衝突する映像を見たときより、衝撃が大きかったかもしれない。

 

入場早々泣き出してしまった私は、そのまま、自分の受け止めきれる範囲で、

その記念館にあった展示物を見た。

テロで亡くなった方の遺品、世界貿易センタービルの柱、1回目の追突の後駆け付けた消防車の残骸…など、20年前の出来事を私たちに知らせるのに十分な資料がそこにはあった。

涙が止まらなかった。

世界貿易センタービルで亡くなった方にはきっと家族がいただろう。

飛行機の乗客・乗務員の方にも家族がいただろう。

そして、飛行機をハイジャックしたアルカイダのメンバーにだって家族がいたかもしれない。

そんなことを考えたら、涙が止まらなくて、

休み休み展示を見るのが精いっぱいだった。

 

日本で、何度か特攻平和記念館や原爆ドームを訪れたことはあったけれど、

この記念館は、圧倒的に「映像資料」が多かった。

技術とマスメディアの発達によって、リアルタイムで記録できることが増えたからだろう。

こんなにもありありと20年前の出来事を、突き付けられるとは思っていなかった。

 

でも、これからは、これが普通になっていく。

カメラで写真や動画を撮るのが普通の行為になって、

様々な残したいこと、残したくないことが残っていく。

「一番つらいのは、忘れ去られること」という言葉があるが、

今度は、忘れたくても忘れられなくなるのかもしれない。

 

一方で、交通事故や病気で亡くなった人の一生は、誰かが残そうとしない限り残らない。

日常の一部の中で死んでいった人たちは、名前と死因が残るくらいだろう。

大切な人の大切な思い出は、自分で残さなければならないのだ。

 

「残したいもの」と「残したくないもの」を取捨選択する時代が来ている。

 

テロや戦争といったセンセーショナルな事件は、

マスメディアに取り上げられて、嫌でも残る。

一方で、誰かの何気ない日常は、きちんと記録していないと残らないかもしれない。

父の死後、10年が経とうとしている今、私はどれくらい父のことを覚えているだろう。

父のことを自分の子どもたちにきちんと話すことができるだろうか。

そんな不安が胸をよぎったから、余計に涙が止まらなかった。

 

今まで考えた事もなかったようなことを考えさせられた記念館だった。

 

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記念館の前で撮った唯一の写真